淡路町2丁目界隈の今昔 その5 樋口一葉と淡路町

 日本で最初の女流作家であり、5千円札の顔として有名な樋口一葉は一時期、淡路町に住んでいました。

 24歳6カ月という短い人生を、困窮にあえぎながらも、晩年には日本の近代文学史に残る作品を次々と書き上げるなど波乱と激動にとんだ生涯を過ごした樋口一葉は、家族の死や借金苦などで、生涯で15回もの引っ越しをしています。

 そもそも一葉は千代田区内幸町で生まれましました。区立の内幸町ホールの横に生誕の碑が残されています。

下級官吏の4番目の子として生まれ、一家は内幸町から神田練塀町、港区六本木、文京区本郷、台東区御徒町など転居を繰り返します。

 そして一葉が17歳の明治22年、神田淡路町2丁目4番地に転居します。ここで父親が借金を残して病没、一葉は17歳にして戸主として家族を養わなければならなくなりました。

 困窮を極めた樋口家は当時、母と妹と一葉の3人が針仕事や洗い張りでなんとか生活費を稼いでいました。また、この淡路町時代に一葉は小説を書き始めます。

 淡路町では約半年を過ごし、その後も港区芝、文京区春日、文京区本郷など転居や寄宿を繰り返します。

 明治26年、一葉が22歳の時、一家は台東区竜泉に引っ越し駄菓子屋を営みます。が、結局失敗。しかし、この時の10か月の生活が「たけくらべ」を執筆する原点となりました。

 その後、当時の流行作家であった半井桃水に師事するなど本格的に執筆活動を行い、明治28年1月に「たけくらべ」を発表。その後も「にごりえ」、「十三夜」などを次々と発表、後世で「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる活躍をしますが、明治29年、結核が重症化し、24歳の若さで死去しました。

 樋口一葉の作品は明治を生きる女性の置かれた過酷な現実を深く見つめており、弱者に目を向けた作品ばかりです。ヒロインの抱える圧倒的な孤独が読者の心を打つのが特徴ではないかと思います。

                                                                                                                                                                               (出典:Wikipedia、千代田区HP)