淡路町2丁目界隈の今昔 その8 公適配と昌平小校歌

 千代田区は戦前(1940年、昭和15年)は20万人程度の人口であったため、区内には19校もの多くの区立小学校がありました。戦中戦後の混乱期を経て、1955年(昭和30年)の12万人をピークに人口は減少の一途をたどり、1995年(平成7年)には3万9千人程度まで落ち込みました。それでも区立小学校は14校もありました。

 そのため千代田区は1991年(平成5年)に千代田区公共施設適正配置構想 、いわゆる「公適配」を発表し、当時14校だった区立小学校を8校に統廃合することにしました。

 この公適配により、主に神田エリアにある小学校全てが統廃合を経験することになりました。

淡路町2丁目にも淡路小という明治8年から続いていた伝統ある小学校がありましたが、秋葉原地区にあった芳林小と合併することで話し合いが始まりました。

 小学校は地域の核、と言われ、小学校が無くなった地域は人口も減り元気も無くなると考えられたため、淡路小、芳林小のPTA始め地元関係者はどちらも自分の跡地に新しい小学校を立てて貰いたいと考えていました。感情論を伴った大激論の末、芳林小の跡地に新たな「昌平小」を立てることに決まりました。

 この小学校を賭けた地域同士の綱引きは感情的な対立を生んだものの、協力して1つの新たな小学校を生み出そうという一体感も生み出し、昌平協議会、昌平コミュニティースクール運営委員会などの2つの地域が協力したボランティアチームを創設する原動力ともなりました。

 

 そうして生み出された昌平小では、1993年(平成5年)の創立と共に新たな校歌を制定しましたが、その作詞作曲は小椋佳によるものとなりました。

 当時の昌平小PTA会長だった小林康夫氏を中心に区役所経由で小椋佳に依頼、快諾をもらいました。

 何故小椋佳に依頼したかというと、新進気鋭のシンガーソングライターとして脚光を浴びていたこともありますが、本人が昌平小にほど近い台東区上野黒門の出身で、地域の雰囲気も分かっているとの想いがありました。

 小椋佳は当時「シクラメンのかほり」の大ヒットで、エリート銀行員とシンガーソングライターの2足の草鞋を履いていましたが、ちょうど音楽活動に専念しようとしていた時期でした。その後小椋佳は数十校の校歌を手掛けますが、昌平小校歌はその走りとなりました。

 そんな昌平小校歌ですが、1番の歌詞をみると、

 相生 紅梅 男坂   万世 昌平 聖橋

  元気な声が 響いてくるよ   明るい顔が 集ってくるよ

  学ぶことが好き 遊ぶことが好き   すばらしい 友達 大好き

  心を磨き 体を鍛え   あの橋を超え あの坂を超え

  昌平の夢 かなえに行こう

というように、昌平エリアの坂そして、橋の名前が淡路小地区、芳林小地区まんべんなく使われています。両校の関係者に気を使いながら作詞を進めたことが感じられます。

 また、小椋佳らしいノスタルジックなメロディーは聴く人の心を温かいものにさせる力があるように感じます。

 

 この昌平小校歌秘話については以下のYouTubeに詳しく出ていますので、参照頂けましたら幸いです。

      千代田区立昌平小学校 校歌秘話【ブラヒロシ2nd】

      https://youtu.be/6opllQL9UmY?si=IW2eMC7gWaxKFHeU

 

小椋佳

1992年12月に臨時発行された 広報千代田

昌平小校歌秘話