淡路町2丁目周辺の今昔 その9 ニコライ堂と東京大空襲

 ニコライ堂は正式には「東京復活大聖堂」といいます。日本に正教会の教えをもたらしたロシア人大主教の聖ニコライに由来してニコライ堂と呼ばれています。

 ニコライ堂は自治正教会である日本ハリストス正教会(日本正教会)の中心ですが、ロシア連邦等を管轄する一独立正教会の「ロシア正教」ではありません。

  建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴で、日本で初めてかつ、最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築となります。1891年に竣工し、1962年6には国の重要文化財に指定されました。

 

 東京大空襲というと、一般に1945年(昭和20)3月10日(9日深夜)の、一夜で10万人規模の死者を出した下町大空襲が想起されます。

 しかし3月10日の予行演習と位置付けられる2月25日の空襲(特に神田地区に大きな被害が出ました)、そして4月13日~14日の城北大空襲、4月15日の城南大空襲、5月24日と5月25日の山の手大空襲と、東京は「大」がつくレベルの空襲を何度も受け、ほぼ全市域を万遍なく攻撃されて灰燼に帰しています。

 御茶ノ水駅を含む神田区は、2月25日に神田駅周辺と東部、3月10日(下町大空襲)に神田川以北(秋葉原など外神田地区)、4月13~14日(城北大空襲)に三崎町・西神田と淡路町が被災しています。

 

 しかし御茶ノ水駅とその南側の神田駿河台一帯は、度重なる空襲をまぬがれ被災していません。

 これはニコライ堂が、米国内のギリシャ正教信徒が軍に攻撃しないよう要請したのを受けて一帯が空襲対象から外されたため、またニコライ堂のドーム屋根が上空を飛ぶ米軍機の目視地点の一つだったため破壊するのを避けたため、と言われています。地図を添付していますので、ご覧になれば一目瞭然かと思います。

 そのため、淡路町2丁目を含む須田町、淡路町、駿河台などのエリアが空襲を免れました。ワテラス3階入り口向かいにある東京都有形文化財指定されている高畠邸や、須田町の竹むら、いせ源、ぼたん、まつやなど都の選定歴史的建造物となっている建物が戦前の姿のまま残っています。

                                        (出典:Wikipedia、千代田区HP)

 

ニコライ大主教

東京都有形文化財 高畠邸