淡路町2丁目界隈の今昔 その18 須田町旧やっちゃば通り

 淡路町から神田駅の方に少し歩くと神田須田町交差点の近くに、神田青物市場発祥之地の石碑があります。

 青物市場は現在の市場のイメージとは違い、店舗兼住所の卸売屋がたくさん集まり町を形成していました。

 神田青物市場の起こりは、慶長17年(1612年)、江戸幕府が江戸市中の食糧需要に対応するため、伊勢松坂の青物商人、伊勢谷長兵衛らを江戸に呼び、神田多町に住まわせたことにあります(河合敦監修 江戸の暮らし辞典)。

 神田青物市場は神田川沿いの河岸からの荷揚げ品、日本橋川の鎌倉河岸の荷揚げ品などを扱う市場で、広さは一万五千坪(49500㎡)もあり大変な賑わいだったようです。

 しかし、関東大震災(1923)で壊滅、当時 火除地(延焼を防ぐための空き地)として広いスペースのあった秋葉原駅西北に移転することになりました。

 青物市場の事をやっちゃば、と言います。この理由には諸説あり、セリの声が「ヤッチャ、ヤッチャ」と聞こえた説、「神田八辻ヶ原筋違町の青物茶屋の場」を縮めたとする説などがあるそうです。

                                  (出典:EDO→TOKYO Wikipedia 他)

 

神田青果市場の碑

神田青物市場(山本松谷画)新撰東京名所図会、明治33年

神田区多町『東京風景』 1911年〈明治44〉