淡路町2丁目から武道館や靖国神社へ行くときに通る九段下ですが、地名の由来となった九段とは、江戸時代周辺の高台に役人のための武家屋敷が建てられ、9段の石垣を造ったことから「九段坂」と呼ばれたことに由来します。添付図の江戸名所図会にあるように最初は9つの段がありました。
明治初期の古地図(東京図測量原図)に記された九段坂は、標高6mから24mの上り坂でかなりの急勾配だったようです。昔から牛が疲れて落ちてしまうほど急な傾斜だったため、坂の淵は牛ヶ淵といわれるようになりました。そんな難所だった九段坂の下には、荷車を押して日銭を稼ぐ者が待っていたそうです
明治40年(1907)に東京の市電は開通しましたが、九段坂の急勾配では、路面電車は登れなかったので、添付図にあるように右側の飯田橋方面からの線路は九段下で俎橋方向に左折しています。その後、牛が淵側を掘り下げ、トンネルを掘るなど苦労して何とか開通させ、市電を通しました。
そして、大正時代の関東大震災の後、九段周辺は復興整備のため大改修が行われました。九段坂はゆるやかな傾斜になるよう地面が削られ、現在の傾斜になったということです。
(出典:千代田区HP、Wikipedia、大江戸歴史散歩を楽しむ会等)
明治初年の古地図 九つの段が描かれている
