淡路町2丁目界隈の今昔 その25 岸記念体育会館と軍艦山

 御茶ノ水ソラシティ―のある場所に、かつて岸記念体育会館がありました。昭和16年(1940年)設立。東京大空襲でも焼けませんでしたが、昭和39年(1964年)東京オリンピック開催と共に、代々木選手村(渋谷区神南)に移転しました。

 それでは岸氏とはどんな人物で、岸記念体育会館とは何だったのでしょうか?

 岸清一は慶応3年(1867年)島根県生まれ、弁護士会会長を務め、嘉納治五郎の後を継いで第2代日本体育協会会長になった人物です。しかし昭和8年(1933年)に急逝。現代に換算すると28億円相当の寄付金を遺言として体育協会に残しました。当時日本では体育協会の施設や、各種スポーツ競技団体の事務所もバラバラでしたが、オリンピック開催を念頭に連携を深めるべく、総本山的な建物が求められていました。

 岸記念体育会館の場所は、所有していた岩崎財団の好意により格安で駿河台4丁目を購入できるめどが立ち、日中戦争の長期化などによる延期はあったものの昭和16年に落成式を迎えることが出来ました。なお、写真では運動の出来る体育館のような印象のある建物ですが、中は2階建てで各種スポーツ競技団体の事務所がびっしりと入居した、純粋な事務所棟でした。

 また、近所の子供たちは体育会館近くの森が鬱蒼(うっそう)と茂り、細長い形であることから軍艦山と呼び、かっこうの遊び場だったようです。

 日本スポーツ界の礎を築いた岸記念体育会館でしたが、老朽化が目立ちまた、1964年の東京オリンピックに合わせて機能を拡大すべく代々木選手村に移転し、役割を終えました。

            (出典:Wikipedia、日本オリンピック委員会HP,体育史研究第37号(村井友樹氏寄稿))

 

岸記念体育会館 右側の建物は体育館ではなく、2階建てで事務所が並んでいた

昭和38年当時の航空写真