淡路町2丁目界隈の今昔 その26 龍閑橋と今川焼

 淡路町2丁目から中山道を通り日本橋へ向かうと、JR神田駅を過ぎた辺りに今川橋の交差点があります。しかしここには川はありません。何故今川橋だったのでしょうか?

 実は明治時代までは今川橋は今より30m程度日本橋寄りで、そこに龍閑川が通っていました。この龍閑川、元々は江戸中期に作られた防火堤防でした。当時は長さが八丁あったため、神田八丁堀ともよばれていました。明暦の大火(1657年)で壊滅的な被害を受けた江戸市中は、大規模な防火対策としてこの防火堤防を作ったのでした。その後、地図で分かるように旧浜町川とつながり、更には神田川とも繋がるように運河は拡張され、江戸明治期の船舶交通の要衝ともなりました。

 日本橋から旅人が中山道を通り最初に渡るのがこの今川橋でした。この橋のたもとで売られていた小判型の菓子が評判となり、今川焼と呼ばれるようになりました(諸説あり)。

 明治期にはこの龍閑川が千代田区と中央区の区境ともなりましたが、第2次大戦後、瓦礫の処理のために埋め立てられ、昭和25年には完全に姿を消しました。なお、日本橋川との分岐点付近にあった日本最初のコンクリート橋である龍閑橋の橋桁の遺構が遺されています。

 また、龍閑川と浜町川の交流場所は児童公園となっていますが、千代田区側と中央区側で呼称が違い、少し笑えます。

     (出典:Wikipedia、大江戸歴史散歩を楽しむ会、千代田区、中央区HP)

 

龍閑橋遺構