淡路町2丁目界隈の今昔 その31 水道橋と神田上水

 

  JR総武線のお茶ノ水駅の新宿よりの次の駅は水道橋です。この水道橋、名前の通り江戸時代には神田川に上水道を架ける懸樋(かけひ)があったことが由来となっています。

 徳川家康が江戸に入府してまず手掛けたのが上水道の整備でした。当時の江戸は日比谷まで海が入り込んでいて、井戸を掘っても塩の混じった水しか出なかったのです。

 家康は、家臣の大久保藤五郎に命じて、井の頭池を起点とし、善福寺川の水源も取り込んで小石川の関口大洗堰に至る神田上水を作らせます。関口大洗堰で水を左右に分脈し、左側を上水に使う水として水戸藩の江戸上屋敷(現在の小石川後楽園)方面に流し、右側を余水として神田川として流すようにしました。

 水戸屋敷を出た上水は現在の水道橋から150mほど下流にある懸樋(かけひ)を通って神田川を横断し、武家地や町人町に給水していました。給水を行うために樋と枡を使って、水道網を形成していたようです。

 もちろん江戸時代の淡路町2丁目界隈も、この神田上水の恩恵を受けていました。

                               (出展:Wikipedia、千代田区HP他)

水道橋の横に架かる懸樋(かけひ)

神田上水碑文