先週の5/23,24と例大祭が行われた湯島天神ですが、今回はこの湯島天神と松住町会のお話です。
湯島天神(湯島天満宮)は、東京都文京区にあり学問の神様として知られる菅原道真公を祀っています。特に受験生や学問成就を願う人々に人気があり、多くの参拝者が訪れる名所です。また、美しい梅の花が咲くことでも有名です。
湯島天神の起源は古く、458年(雄略天皇2年)に創建されたと伝えられています。当初は天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を主祭神として祀っていましたが、1355年に菅原道真公を合祀し、学問の神としての信仰が広まりました。
湯島天神の氏子町会の範囲は広く、添付図で分かる通り文京区全般と、千代田区外神田、特に松住町のエリアまでを含んでいます。
実はブログ筆者は、松住町が神田明神のすぐ近くにありながら湯島天神の氏子であることに疑問を持っていました。神社の周辺から、氏子町会は拡がっていくのが自然だと感じていたからです。
しかし先日の例大祭で松住町の町会長様や、町内の皆さまとお話しさせて頂き、疑問が氷解しました。
湯島天神の起源は上述の通り458年です。ところが、神田明神が大手町から移ってきたのは1616年(元和2年)です。神田明神のほうがずっと後から氏子町会のエリアに入ってきたのです。
更に松住町の歴史を紐解くと、江戸初期は長福寺(ちょうふくじ)の境内だったのですが、明暦の大火(振袖火事)で長福寺が浅草移転したため、寺の跡地に商人や職人が住む町屋へと生まれ変わったとのこと。そして元禄から宝永(ほうえい)年間(1688年~1711年)には、「湯島横丁(ゆしまよこちょう)」(後に湯島横町)とも呼ばれていたそうです。まさに湯島天神の氏子の中心と言っても過言ない町内だったのです。
時は移り江戸時代も終わり、明治5年(1872)、町は縁起物の「松」にちなんで松住町という新たな町名に変わりました。
458年(雄略天皇2年)から松住町は脈々と湯島天神を敬い、お祭りを次世代へと守り引き継いでいるのです。
(出典:千代田区町名由来版、Wikipedia、松住町会の皆さま)
