JR飯田橋駅を降りて駅の南西側に富士見町教会があります。再開発されたこの一帯の中でも美しい景観を誇るこの教会は、実は日本基督教団に所属する教会として様々な歴史を経験しています。
創立者である植村正久は1887年(明治20年)、麹町区三番町で「日本基督一致教会番町教会」を設立。その後一番町への移転を経て、1906年(明治39年)富士見町六丁目に新たな教会を建設、教会名を「富士見町教会」と改めました。
関東大震災で教会は全焼しますが、震災から約6年後の1929年(昭和4年)、待望の新会堂が完成します。
一方、太平洋戦争下の宗教団体統合政策により、日本の多くのプロテスタント教派が合同して「日本基督教団」が設立されることになりますが、その創立総会は、1941年(昭和16年)、この富士見町教会で開催されています。それほどに影響力の強い教会と位置づけられていました。
また、富士見町教会には、近代日本の政界、学界、実業界など、様々な分野で活躍した著名な人々が教会員として名を連ねました。初代衆議院議長の中島信行や松岡駒吉、内閣総理大臣を務めた片山哲といった政治家、明治女学校創設者、青山学院大学学長といった教育関係者、実業家でありソニー創立者の井深大など、多岐にわたる顔ぶれが見られます。
また、近隣の富士見2丁目町会HPでは興味深いエピソードも語られています。(以下全文)
「昭和20年6月、終戦間際のある日落下傘で降りて来る米兵を見つけて、町の人達は竹やりを手にして殺気立って待ち構えていました。地上に降りて来た米兵は、青い目をした若くて可愛い青年でした。それを見た町の人達は近くの富士見町教会に案内して逃がしてやりました。
戦後、ヘレン・ケラー女史が平和大使として富士見町教会に訪れた際に付き添ってきた青年が「この街の人達に助けてもらったお礼を述べたくて、是非にと志願して来日した」との話が八田宣教師様から有ったそうです。
富士見2丁目の住人達は戦争中付近一帯が焼夷弾で焼け野原になっているにも拘らず、落下傘で落ちて来た若い米兵をリンチすることもなく、助けたそうです。」
(富士見2丁目町会HP 飯田橋プラーノ わがまち富士見の思い出 鹿島靖子氏より)
そして再開発計画(飯田橋グラン・ブルーム)が進められる中で、2013年(平成25年)現在に至る教会堂が竣工しました。富士見教会はこれからも町の人々と一緒に、歴史を重ね続けることでしょう。
(出典:サードペディア百科事典、Wikipedia、富士見町2丁目町会HP他)
