淡路町二丁目界隈の今昔 その37 和泉小と国立衛生試験所

 秋葉原駅から東に10分程度行くと、千代田区立和泉小学校があります。その近くには三井記念病院もあります。実はこの和泉小学校のあるエリアは、近代日本の薬学・衛生行政発祥の地として大きな役割を果たしているのです。

 まず、江戸時代後期にこのエリアに種痘所が発足。種痘所はお玉が池種痘所として1858年(安政5年)に発足しましたが、わずか半年で火事によりこの和泉町に移転してきました。その後、この種痘所は「西洋医学所」へと発展。そして、「医学所」と改称し本郷(現東京大学)に移転した後、国立衛生試験所(現NIHS 国立医薬品食品衛生研究所)が移転してきました。

 明治維新後、海外からの薬品の輸入が本格化しましたが、薬品を取り扱う業者ですら西洋の薬品の知識や鑑別法に不慣れだったことから、贋薬や不良品を売りさばく悪質な業者が横行しました。贋薬の横行は人命に関わる問題であるため、1874年(明治7年)文部省医務局が中心となり薬品取り締まりの機関として司薬場が中央区日本橋馬喰町に設置、1875年(明治8年)に千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。

 また、1914年、第一次世界大戦の影響により、医薬品の輸入が途絶えたため、重要医薬品の製造を開始し、多くの医薬品の国産化に成功しました。その結果、それまで輸入に依存していた日本の製薬産業の近代化の基盤が確立されました。

 そもそも江戸時代から日本橋本町から小伝馬町、東神田エリアには薬問屋が集中していました。明治になり国立衛生試験所が出来たため、近くだと研究者や行政機関との連携が便利ということで東神田エリアに薬品メーカーが多く集まり現在に至ります。

 国立衛生試験所は1945年(昭和20年)3月の東京大空襲に罹災し、世田谷区上用賀に移転したのち、2017年(平成29年)10月に川崎市に移転しました。その後この地には平成5年、旧佐久間小、旧今川小が合併し、和泉小学校が誕生しました。

                (出典:千代田区HP、NIHS国立衣料品食品衛生研究所の歩み 他)

 

和泉小学校

国立衛生試験所 建屋