神田淡路町2丁目界隈の今昔 その41 紅梅河岸

紅梅河岸とは、明治時代まで昌平橋から神田駅寄りにあった荷物を陸揚げするための河岸のことです。淡路町寄りを東紅梅河岸、松住町寄りを西紅梅河岸と呼んでいました。

神田山を掘削する大工事は家康が入府した1590年頃から始まり、秀忠・家光と3代に渡り50年かけてようやく1639年頃に完成したと言われています(諸説あり)。

 

 江戸時代の物流は舟運が中心だったため、神田川という運河が出来ると、紅梅河岸は神田川を通ってコメや野菜、薪や炭、酒や味噌醤油など生活物資を淡路町側の武家屋敷や、松住町側の町人街に荷揚げする物流拠点となったと考えられます。また、近くには青果市場であるやっちゃば市場もあり、淡路町周辺は物資の集積場所や荷運びの拠点としても賑わっていました。

 明治になり鉄道が発達し逆に舟運が廃れ、紅梅河岸はその役割を終えました。しかし今度は、レンガ造りの紅梅河岸高架橋が明治41年(1908)に完成し「紅梅河岸」の名を残しています。この紅梅河岸高架橋はまた、日本最古の現存する鉄道高架橋でもあります。

 

淡路町周辺は舟運から鉄道への交通革命が同じ場所で起きた稀有な場所なのです。

 

 

     (出典:Wikipedia、千代田区HP 他)

紅梅河岸AIイメージ画像

安藤広重 名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川 (昌平橋右手が西紅梅河岸)

紅梅河岸高架橋